三井倉庫事件の原告Nさんに初めてお会いしたのは2006年8月5日。半年後の2007年2月5日に提訴した裁判は、2013年11月21日、最高裁で勝利し、めでたく終了しました。提訴から6年9ヶ月、うち2年9ヶ月が最高裁判断待ちの長い闘いでした。被害者の妻・Kさんがご健在のうちに勝訴の報告ができたことに心底ホッとしています。

最高裁の判断を待つ2年9ヶ月の間、「負けるはずはない」と思ってはいても、時折、一抹の不安が訪れました。2013年11月25日の夕方、事務員が届けてくれた複数の郵便物の中に最高裁判所第一小法廷からの簡易書留を見つけた時は、思わず「来たっ!」と大きな独り言を言ってしまいました。中身を確認するまでの1,2秒の緊張と安堵。2年9ヶ月の一抹の不安から解放された瞬間でした。

忘れられないのは、大阪高裁でのショックです。裁判長から「じん肺法の解釈については、三井倉庫側の主張に分があると思う」と言われた時は、さすがに膝がガクガクしました。途方に暮れ、心ここにあらずの状態で法廷を出た時のことを、今でもまざまざと思い出します。必死に主張立証を補充したお陰で、結果的には、地裁判決を上回る高裁判決。自らの主張の正しさを確信することの大切さ、絶対に手を抜かずに、やれることを全てやり尽くして説得する重要さを、身をもって学んだ得がたい経験でした。

Nさんは、100点満点の原告でした。亡きお父様への思いあふれる原告本人尋問。問題の核心を突いた迫力ある意見陳述。色々な方が証人や証拠探しに協力して下さり、神戸地裁、大阪高裁とも毎回多くの方に傍聴していただけたのも、Nさんのお人柄があってこそだと思います。長い長い最高裁判断待ちの間も、Nさんと一緒に勝訴を確信し続けました。苦楽を共にした同志です。

Nさんとの出会い、支援の皆さんとの出会い、三井倉庫事件との出会いは、私の大きな財産です。良い出会いに恵まれたことに心から感謝すると共に、今回の成果が港湾アスベスト被害の救済につながることを願って止みません。【伊藤明子】

*この記事は、2014年1月に執筆した内容を編集したものです。
*三井倉庫(港湾アスベスト)事件については、当事務所のHPアスベスト被害[企業に対する損害賠償請求が認められた事例]をご覧下さい。