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企業に対する損害賠償請求が認められた事例

三井倉庫(港湾)事件

 被害者は、1951年から1977年までの約27年間、三井倉庫株式会社神戸支店に勤務し、神戸港の倉庫の内外で、アスベスト鉱石を含む荷物を運搬する作業等に従事しました。定年退職後、1997年に悪性胸膜中皮腫を発症。1999年に享年77歳で亡くなり、遺族が石綿救済法(労災時効)の認定を受けました。
 2007年、遺族が三井倉庫株式会社を被告として損害賠償請求訴訟を提起。1審・神戸地裁(2009年)2審・大阪高裁(2011年)ともに企業責任を認め、2013年に最高裁で原告勝訴が確定しました。
 港湾はアスベスト被害の多い職場です。特に神戸港は全国最大の石綿輸入港で、1960年代から1980年代にかけて、全国の石綿輸入量の3割を陸揚げしたと言われており、倉庫会社や荷役会社の従業員が数多く労災認定されています。この事件は、港湾倉庫会社の従業員のアスベスト被害について、最高裁が企業(使用者)の責任を認めた初めての事例です。

中央電設(電気工)事件

 被害者は、1962年頃から2006年までの約45年間、中央電設株式会社の従業員ないし専属下請(個人事業主、後に法人化)として、学校や病院、市営住宅などの電気工事に従事しました。2004年に悪性胸膜中皮腫と診断されるも、仕事を継続。2006年に症状が悪化して入院し、約3か月後に亡くなりました。享年59歳でした。亡くなった後に遺族が労災認定を受けました。
 2010年、遺族が中央電設株式会社を被告として損害賠償請求訴訟を提起。1審・大阪地裁(2014年2月)2審・大阪高裁(2014年9月)ともに企業責任を認め、2015年に最高裁で原告勝訴が確定しました。
 石綿の7~8割は建材に使用されているため、建築現場ではアスベストばく露による中皮腫や肺がんが多発しています。この事件は、建築関連職種のアスベスト被害について、最高裁が企業(使用者)の責任を認めた初めての事例です。判決の中では、新築・改修工事、建物規模の大小を問わず、電気工を含む建築作業従事者が様々な場面でアスベストにばく露する実態が明らかにされました。

A社事件

 被害者は、1960年代から80年代にかけて約18年間、製鉄所などの灼熱炉のメンテナンスや解体・修理作業を行う作業に従事し、2012年にびまん性胸膜肥厚を発症、2013年に労災認定を受けました。
 寝たきりの被害者本人に代わり家族が法律相談に来られた後まもなく、弁護士が自宅で本人と面談する予定だった矢先の2015年9月、容体が急変して亡くなりました。そのため、本人の遺志を継ぎ、遺族が元勤務先の会社に損害賠償を請求しました。
 会社にも弁護士が就き、代理人同士の交渉となりました。会社側は古い従業員名簿が残っておらず被害者が在籍したかどうか不明だと主張しましたが、被害者側は社会保険記録(年金記録)や労基署が作成した生前の本人からの「聴取書」(アスベスト取扱い作業の状況等が記載されています)を根拠に会社の責任を主張。個人情報開示請求によって労働局から労災認定時の資料を全て取り寄せた後、概ね4か月という短期間で示談交渉が成立し、裁判で認められ得る金額に準じた解決金(慰謝料)の支払いを受けることができました。

B社事件

 被害者は、1980年半ばから約10年間、溶接工として働き、製鉄所内のタンクや釜、パイプなど設備の営繕工事に従事しました。2004年に中皮腫と診断され、8年もの闘病の末、2012年に亡くなりました。労災認定は、クボタショック直前の2005年5月に受けていました。
 被害者の直接の勤務先は零細な個人事業主であり、孫請であったため、遺族は、大手製鉄会社と元請である中堅のB社に対して損害賠償を請求しました。
 大手製鉄会社はゼロ回答でしたが、B社には弁護士が就き、代理人同士の交渉となりました。労災認定時の資料によっても作業実態の詳細が分からず、交渉は難航しましたが、被害者側では、一般的な製鉄所での石綿製品の使用状況やアスベスト被害、元請責任に関する裁判例など多数の資料を準備し、中皮腫はごく微量の石綿曝露でも発症し得る疾病であることから、裁判になれば大手製鉄会社もB社も責任を免れないと主張。B社は、裁判の見通しと大手製鉄会社との関係を考慮してか、比較的高水準の解決金(慰謝料)を支払う内容の和解(示談)案を受け入れました。

三菱重工・河原冷熱(造船所)事件

 被害者は、1951年から1991年までの約40年間、三菱重工業神戸造船所の下請である河原冷熱工業株式会社に勤務し、船舶の機関部や配管・タンク等に保温断熱材を取り付ける作業やその監督などに従事しました。退職後の1993年に肺がんを発症し、診断からわずか1か月後、享年62歳で亡くなりました。死亡当時は、肺がんの原因がアスベストであることに主治医すら気付かず、2006年に遺族が石綿救済法(労災時効)の認定を受けました。
 2013年、遺族が三菱重工業株式会社と河原冷熱工業株式会社を被告として損害賠償請求訴訟を提起。死亡から20年近くが経過しており消滅時効が大きな争点となりましたが、1審・神戸地裁(2016年3月)は両社の責任を認め、原告を勝訴させました。
 造船所は建築現場に次いでアスベスト被害の多い職場です。厚生労働省「平成27年度石綿ばく露作業による労災認定等事業場」によれば三菱重工神戸造船所では90人、三菱重工全体では実に433人もが労災・石綿救済法認定を受けています。しかし、三菱重工など大企業は自社の従業員にだけ労災の上積み補償を行い、同じように働いた下請の従業員を使い捨てにしています。下請あってこその元請ですから、判決が元請である三菱重工の責任を認めたのは当然です。【この事件は2016年11月に2審・大阪高裁で終了しました。】

C社・D社事件

 被害者は、1962年から1974年までの間の約10年間、倉庫会社であるC社の下請会社D社に勤務し、神戸港でアスベスト荷役作業に従事しました。2011年に悪性中皮腫と診断され、2012年に労災認定を受けました。
 闘病中だった2013年、C社及びD社に損害賠償を請求しましたが、交渉は決裂。やむなく両社を被告として神戸地裁に損害賠償請求訴訟を提起したところ、第1回期日後に被告側から申し入れがあり、まもなく裁判上の和解が成立しました。 
 被害者は、和解した翌2014年に亡くなりました。享年72歳でした。神戸港で働いたのは20歳代。遠い昔のことで、子供達にも話をしたことはありませんでした。余生を楽しもうとしていた矢先、まさか石綿のせいでこんな恐ろしい病気になるとは思ってもみなかったことでしょう。存命中に解決したことがせめてもの救いです。

E社事件

 被害者は、1973年から1988年までに約5年間、大手造船会社であるE社に勤務し、新造船部門のエンジン場や居住区の電装職として、電機部品の取り付けや配線作業に従事した際、石綿粉じんにばく露しました。
 2008年頃から咳、痰、息切れなどの症状が現れ、2017年に石綿肺、続発性気管支炎等と確定診断されて、息切れが増強。在宅酸素療法も始めていましたが、労災申請は行わないまま2018年2月に亡くなりました。死亡原因は、石綿肺による慢性呼吸不全でした。その後、遺族が労災申請。約半年後に労災認定を受けました。
 労災手続では、経済的損害の一部は補償されますが、被害者が苦しんで亡くなった精神的損害(慰謝料)は全く補償されません。そこで、遺族は、元勤務先であるE社に損害賠償(慰謝料)を請求しました。被害者は、E社を退職した後、他の職場でも石綿粉じんにばく露した可能性があり、当初、E社はそれを理由に低額の解決金しか提示しませんでした。しかし、船内の仕事も電気工事も、石綿粉じんばく露の危険性が極めて高い作業です。当方からは、この点に関する資料や裁判例を示して丁寧に説明し、粘り強く交渉を重ねたところ、約10か月後に相応の解決金(慰謝料)の支払いを受ける示談が成立しました。

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